私の前に広がる世界は、一つの世界の様に思っている。(2)

私の前に広がる世界は、一つの世界の様に思っている。私の目の前に広がる世界は、あなたの目の前に広がる世界と同じものだと思っている。それは「あなたたち」の見てる世界と同じものだと思っている。そして「私たち」の見ている世界は、1ミリの狂いもなく同じ世界だと思っている。私は「私たち」の見てる世界の中にいると思っている。その世界は、世界が登場する以前から私たちが生まれるより遥か彼方からそこにあったと思っている。それはビッグバンが起こるよりも遥か彼方からそこにあったと思っている。本当だろうか?

その「私たちの世界」の中に私はいる。それを私たちは客観的な世界という。私たちの意思とは無関係に、世界は既にそこにある。そう思っている。私たちに世界は近づくのではなく、私たちが世界に近づいていると思っている。本当だろうか?そんな世界が本当にあるのだろうか?

多くの哲学者は世界を疑うことをしなかった。存在という名のもので世界の存在の仕方を考えた。また「私たちの世界」を知るための技術に翻弄した。知るとは「私たちの世界」を知ることなのだと。「私たちの世界」は一つで真実も一つだという信仰がそこにはあった。それは信仰でしかないのに。

世界は本当に一つなのか。真実は本当に一つなのか。新たな哲学はそんな疑問から生まれた。